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掲示板:練習日誌

最後の日誌

名前:レン日付:2017/08/05 07:04:34

お疲れ様です。
最近の僕のルーティンはSimeon Pandaのwork outビデオを観てトレーニングに向かうことです。Bradley Martyn とのLegs dayなんか最高の動画です。是非見てください。Simeon Pandaを知らない人はググるか、インスタで検索しましょう。くそデカイです。


さて、とうとう最後の日誌になってしまいました。最後なんで自分が入学してから今に至るまでのラグビー部での思い出をつらつらと書こうかなと思います。興味無かったら読まんでええよ。笑


ラグビー部の新歓に行くようになったきっかけは、自分の高校の先輩がその時ラグビー部でキャプテンをしていたからでした。そして新歓の楽しさから、みんなと同じような感覚でラグビー部に入りました。最後までサッカー部と迷ったけど。


当時の練習は過酷でした。今のような整備された練習ではなく、とにかくガツガツ激しい練習が多かったように感じます。毎練習で試合前のグリッドをパック無しでやってたし、一年生同士とかでは無く、ガチの上級生と肩を当ててました。フィットネストの強度も高く、本気で練習に行きたくない日々でした。笑それでも、練習外では先輩達とたくさん遊んだし、日々はとても充実していたように思います。そして、その年の西医体で琉大は初優勝しました。一年生ではありましたが、あのチームの一員として優勝という瞬間に立ち会えたことはその後のラグビー人生に少なからず影響を与えたと今でも思います。


それから半年後我々31期に悲劇が起こりました。プレイヤーは全員留年し、合宿中の渡嘉敷島から強制送還されることになりました。僕はラグビー部を続けることができず、九山の優勝、西医体の準優勝を電話で報告してもらうことしかできませんでした。本当に暗黒の一年だったと思います。


次の年は、めちゃくちゃお世話になった先輩方の最後の年だったんですが、九山も西医体も後一歩のところで負けてしまいました。


そして、幹部の年がやってきました。僕はFWリーダーを任されました。最初のミーティングで最上級生の義勝さんに「あんまり考えてないでしょ」と言われたのを今でも覚えています。元キャプテンのその一言で自分がいかに幹部であることの自覚が足りないか思い知らされ、琉大ラグビー部の幹部の責任の重さを知りました。それからの一年は今までで一番ラグビーに対して時間を割きました。練習メニューの組み立てから、ビデオを観て課題を洗い出しチームやユニットに還元するといった日々の繰り返しでした。しかし、九山、西医体も結果は出ませんでした。


その次の年も九山、西医体と結果を出すことができませんでした。


そして、みんな知っての通り去年しゅうへい達が持ち込んだ洗練されたラグビーで西医体を優勝することができ、今年も圧倒して九山を制することができました。


簡単に書くとこんな6年です。文章力が皆無なんでつまらない日誌でしたが最後まで読んでくれたみんなありがとう。こうやって振り返ってみると、大会で結果が出て楽しかった時と同じくらいか、もしくはそれ以上に、結果が出ず辛かった時の思い出が湧いてくるなぁっていう感覚です。


僕が下級生に伝えたいのは、今楽しそうにやってる6年生達みんな幹部の時に結果が出ず、苦しい思いをしたということ。そしてそれを乗り越えて今の俺たちがあるということ。


6年間はとても長いです。絶対にずっと上手く行き続けることなんてない。けど、それを乗り越えてみんな強くなる。この素晴らしい部活に入ったみんな、どんな壁にぶつかっても最後までやり遂げて欲しい。途中でやめちゃうと勿体無いよ。この部活に最後までいて後悔することなんて絶対ない。それが僕が一番自信を持って言えることです。


ラグビー部に入って本当によかった。


今まで関わった全ての先輩方、後輩達そして同期に感謝します。


長い夏にしよう。